投稿者 小田巻眞理 | 2026年7月月18日 | 復讐リスト, 私について, 闘病生活
11歳から難病を患い、長期入院、10回以上の手術で65歳まで「普通」の人生を送っていないため、『普通』の人のことがわかりません。 学生の頃はお互いに未熟なため、あまり気になりませんでしたが、身近に医療関係者がいない現在では、「はあぁ??」となることが多々あります。...
投稿者 小田巻眞理 | 2026年7月月11日 | 私について, 闘病生活
ブラックニッカクリアハイボールのCMにBay City Rollersの「サタデーナイト」が起用されています。 1961(昭和36)年生まれの私が、初めて夢中になったアーティストは、Bay City Rollers(BCR)でした。『Saturday』のスペルが必要な時は、今でも彼らの「SATURDAY」を口ずさみます。英語を読む入口にもなりました。また、BCRが好きで英語の勉強を頑張って英語の道へ進んだ人もたくさんいると思います。 コンサートには3回参戦しました。 1回目は、1976(昭和53)年に静岡駿府会館で行われた「BAY...
投稿者 小田巻眞理 | 2026年7月月10日 | 研究, 私について
最近はほとんど依頼はありませんが、学会誌の透析や慢性腎臓病(CKD)の栄養問題についての投稿論文の査読をやりました。もちろん、自分でも論文を投稿するので、どなたかに査読していただくことになります。(https://researchmap.jp/marijunsu)...
投稿者 小田巻眞理 | 2026年7月月08日 | 私について, 闘病生活
高校2年生の時、とにかく具合が悪く、40℃以上の熱発が続いたため、静岡県立中央病院小児科に入院しました。 立つこともできず、入院時の体重測定の時、看護師さんに両脇から支えられたことを覚えています。 1ヶ月以上40℃の熱発と38℃くらいまで下がるを繰り返しました。40℃まで上がる際は悪寒で身体中が震えました。 静岡県立中央病院は鷹匠町にあったのですが、ちょうど入院中に呉服町のゴールデン地下街でのガス爆発事故が起こりました。「ドッカーン!!!」いうかなり大きい音が鳴り響きました。...
投稿者 小田巻眞理 | 2026年7月月08日 | 私について, 闘病生活
2年遅れて中学校に復学しましたが、最後に退院した静岡県立中央病院小児科への通院は続いていました。 PSLの漸減は慎重に慎重に行われました。 この頃から、股関節の違和感を感じ始めた記憶があります。パルスはしたことはありませんが、PSLの蓄積投与量は相当なものだと思っています。 1年後くらいに静岡県立中央病院は閉鎖され、静岡県立総合病院に変わることになったため、新しく開院した静岡県立こども病院への外来受診に変わりました。私は特殊な例だと思いますが20歳まで小児科に在籍しています。...