11歳から14歳まで3年間の入院生活を送りました。
筆舌に尽くしがたい日々でした。
実は、中学校への社会復帰の際、「養護学校」へ行くかまたは「普通の公立中学校」へ行くかの選択がありました。私には希望はなく、義務教育だけは行かなければならないことだけ理解していました。
春になると、入学式で新入生が親御さんと歩いている姿を窓から見て「また今年も学校へは行けないな」と思ったことを思い出します。
3年間の「休学」になりますが、実際には2年10ヶ月の入院で、退院後しばらくは自宅療法をしていました。
最後に入院していた静岡県立中央病院(現静岡県立総合病院)は、私が名簿上だけ在籍していた静岡市立城内中学校に近かったため、学校の帰りに名簿上のクラスの友達がお見舞いに寄ってくれました。
13歳(中1)の子どもたちが、まったく知らない病院の病棟に、まったく知らない、1歳年上の、ステロイドでのまん丸の私を、子どもたちだけでお見舞いに来てくれました。
私は申し訳ない気持ちとありがとうという気持ちを感じたことを記憶しています。
私が養護学校に行かなかったのは、彼らのおかげかもしれません。病院側も、ネフローゼ症候群、ステロイド内服、特発性両側大腿骨頭壊死症を抱えて、健常者の子ども達の中で生活するのは大変かもしれないと思っていたようです。
しかし、彼らが何回かお見舞いに来てくれたことで、私は静岡市立城内中学校へ行ってもいいかなと思うようになりました。後から、なぜお見舞いに来たのか聞いたら、担任の先生がお見舞いに行くように指導してくださったとのことでした。
大林先生、ありがとうございました。
その際、中学校で使う教科書も持って来てくれました。暇な私は、主治医からラジオの『基礎英語』を聞くと良いよと言われていました。しかし、ラジオは聞かずに、お見舞いの際にもらった『TOTAL ENGLISH 』という英語の教科書を1年分やってしまいました。『TOTAL ENGLISH』はマイナーな英語の教科書で、Vincentくんが主人公でした。
主治医が、公立中学校でも大丈夫ではないかと言ってくれたこと、父親が養護学校に難色を示したこと、そしてその年の名簿上のクラスメイトの生徒さんがお見舞いに来てくれたことで、私は2年遅れて、1976年(昭和51年)4月に静岡市立城内中学校へ行くことになりました。

