不明熱と診断された46年前の副腎機能低下による入院と医学の進歩

投稿者 小田巻眞理 | 2026年07月08日 | 私について, 闘病生活

高校2年生の時、とにかく具合が悪く、40℃以上の熱発が続いたため、静岡県立中央病院小児科に入院しました。

立つこともできず、入院時の体重測定の時、看護師さんに両脇から支えられたことを覚えています。

1ヶ月以上40℃の熱発と38℃くらいまで下がるを繰り返しました。40℃まで上がる際は悪寒で身体中が震えました。

静岡県立中央病院は鷹匠町にあったのですが、ちょうど入院中に呉服町のゴールデン地下街でのガス爆発事故が起こりました。「ドッカーン!!!」いうかなり大きい音が鳴り響きました。

調べてみたら、『静岡駅前地下街爆発事故(しずおかえきまえちかがいばくはつじこ)は、1980年(昭和55年)8月16日(土曜日)に静岡県静岡市(現葵区)紺屋町にある国鉄(現・JR東海)静岡駅地下街でメタンガスおよび都市ガスの漏洩を原因として2度にわたりガス爆発が発生した都市災害である』とありました。46年前でした。

熱発はいつまで経っても変わらず、あらゆる検査をしても原因は分からりませんでした。尿たんぱくも出ておらず、ネフローゼ症候群関連でもなかったようです。病名候補としては、膠原病などが挙げられ、当時かなり高価だったγ-グロブリンの点滴をしたことを覚えています。

しかし、毎日毎日、真夏なのに、震えと悪寒→電気毛布や布団→40℃の熱発→脇やおでこに氷嚢や氷枕→しばらくして熱が下がる→今度は熱くなる→毛布や布団を剥がしてひたすら冷やすを繰り返していました。

よく脳が無事だったねと後から言われました。

小児科の医師達もカンファレンスを重ねたのでしょう。ある日、PSL(プレドニン)60mgが始まりました。私としては、ネフローゼ症候群の治療薬であるPSLをなぜ使うのかこの時は理解できませんでした。そして、46年前の小児科の医師達も良くわかっていなかったと思います。

何故なら、退院時に受け取った静高に提出する診断書に『不明熱』と書いてあったからです。封がしてありましたが、あまりにも辛い思いをした入院だったので、こっそり封を開けて読んでしまいました。

しかし、それは『副腎機能低下』による熱発でした。今なら理解できます。診断書にもそのように書くでしょう。

当時のことを考えると「医学の進歩」は目覚ましい発展を遂げたと思っています。ネフローゼ症候群も、ステロイドではなく、今ではリツキシマブという免疫抑制剤が出現しています。

後に治療法や治療薬が開発された難病を持つ患者やその家族の、「運が悪かった」「もっと後に生まれれば良かった」という考えに激しく同意します。しかし、私は諦めることで人生を送ってきたので、それも受け入れています。いや、受け入れなければ生きることができませんでした。