静岡厚生病院には1年半ほど入院していました。
入院生活にもすっかり慣れましたが、いつまでここにいるのかも分からないまま、毎日をやり過ごしていました。
しかしある時、静岡県立中央病院(現静岡県立総合病院)への転院が決まりました。子どもだったので、理由がわかりませんでしたが、後に納得しました。
当時、静岡県は静岡市に「静岡県立こども病院」と「静岡県立総合病院(県総)」を開設予定でした。実際、「静岡県立こども病院」は昭和52年(1977)年4月に開院し、「県総」は昭和58年(1983年)2月に開院しています。
そのため、静岡市内の優秀な小児科医が集められたのだと想像します。静岡厚生病院の小児科は一時閉鎖されたのかもしれません(現在はあります)。その後、静岡県立中央病院も閉院となります。
これも後から気付かされたのですが、私は、静岡厚生病院の小児科医長だった久保田裕之先生に引続き診ていただけることになったのです。
その後も入退院が激しかったので定かではないのですが、記憶を辿ると、昭和50年初めくらいに、静岡県立中央病院小児科病棟に転院となりました。
転院ですが入院なので、まずは小児科外来に行きました。当時の小児科医長は寺村先生でした。
寺村先生は、全身皮膚線条でムーンフェイスの私を診察して「お母さん、苦労しましたね」と言いました。
私と母は初めて人前で泣きました。
ずっとずっと我慢していたからです。
入院後は、1年ほどかけてPSLを漸減していきました。そして、私は2年遅れて昭和51年(1976年)4月から静岡市立城内中学校に入学しました。

